CATEGORY:海軍 一種軍装
2016年09月08日
日本海軍 中着
どうも皆様お久しぶりでございます。寛永です。
さて、今回の記事は中着です!!…中着ってなんだよ、となる方も多いと思いますが…
この軍衣の襟の上に出ている部分が中着の襟
なのです。中着襟のページで述べた中着、ようやく記事にできました。
中着襟→http://kanneitone.militaryblog.jp/e705103.html
中着とは、元々襦袢と軍衣の間に着て、擦れによる軍衣の損耗を防ぐものでした。軍衣に黒綾織木綿の裏地が無い明治大正時代はその役目を十分に果たしていたのですが、昭和期に入り裏地ありのものが支給され始めた結果、徐々に中着襟に置き換えられていきました。なお注釈を入れると、中着襟自体は大正時代から存在しています。
中着が登場するのは明治29年です。それ以前の明治20年海軍服制では、中着ではなく下着という名前でした。また、形状も「夏略服」(大3制的に言うと夏衣)と同じで、袖や裾に紺の縁布が付けられていました。大正3年の改正では基本的に明治29年の物と変わっていません。そして、そのまま昭和へと使われ続けていきます。地質は襟は紺小倉、胴部は平織りの晒木綿です。
背面。特に装飾もなく真っ白です。記名布は軍衣などと同じく襟の裏に縫い付けてあります。しかし、これは中着に限った話ではなく再用品などはまた別の場所に縫い付けてある場合もあります。
明29制と大3制のものの比較です。それぞれ明治45年の大号と昭和7年の二号ですが、面白いまでに一致しています。20年の間に日本人の体格が良くなり、より寸法が大きくなった事が伺えます。
二枚目の鳩目は洗濯ストップを通すものです。お馴染みですね。
それではこの辺りで。一度記事のデータが飛び一から書き直したため、抜けたり欠けたりしている部分があるかも…。
さて、今回の記事は中着です!!…中着ってなんだよ、となる方も多いと思いますが…
この軍衣の襟の上に出ている部分が中着の襟
なのです。中着襟のページで述べた中着、ようやく記事にできました。
中着襟→http://kanneitone.militaryblog.jp/e705103.html
中着とは、元々襦袢と軍衣の間に着て、擦れによる軍衣の損耗を防ぐものでした。軍衣に黒綾織木綿の裏地が無い明治大正時代はその役目を十分に果たしていたのですが、昭和期に入り裏地ありのものが支給され始めた結果、徐々に中着襟に置き換えられていきました。なお注釈を入れると、中着襟自体は大正時代から存在しています。
中着が登場するのは明治29年です。それ以前の明治20年海軍服制では、中着ではなく下着という名前でした。また、形状も「夏略服」(大3制的に言うと夏衣)と同じで、袖や裾に紺の縁布が付けられていました。大正3年の改正では基本的に明治29年の物と変わっていません。そして、そのまま昭和へと使われ続けていきます。地質は襟は紺小倉、胴部は平織りの晒木綿です。
背面。特に装飾もなく真っ白です。記名布は軍衣などと同じく襟の裏に縫い付けてあります。しかし、これは中着に限った話ではなく再用品などはまた別の場所に縫い付けてある場合もあります。
明29制と大3制のものの比較です。それぞれ明治45年の大号と昭和7年の二号ですが、面白いまでに一致しています。20年の間に日本人の体格が良くなり、より寸法が大きくなった事が伺えます。
二枚目の鳩目は洗濯ストップを通すものです。お馴染みですね。
それではこの辺りで。一度記事のデータが飛び一から書き直したため、抜けたり欠けたりしている部分があるかも…。